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和を楽しむ。私が心地よい暮らしを追求する

嫌われる勇気の著者、岸見先生に「自分の価値が分からないのですが・・・」と直接聞いた答えとは?

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先日、ロングランベストセラーである「嫌われる勇気」の著者であり、アドラー心理学の権威でもある岸見先生の講演を拝聴する機会に恵まれました。

  

嫌われる勇気 

 

そこで先生に直接質問して、私の長年の悩みをぶつけてみました。

 

私の長年の悩みとは、

 

「自分の価値が分からない」

 

というもの。

 

例えば、このようなブログの記事にしても、

 

「こんなしょうもない記事を書いてしまった」

「こんな記事ダメだ」

 

と思ったり、

 

井戸端会議で何か発現しようとしても

 

「私の意見なんて、誰にも受け入れられないんじゃないか?」

 

とか。

 

普段から自分自身の価値を感じられずに生きているのです。

 

なので、率直に先生に質問したところ、先生からの回答は・・・

 

 

「自分の価値が分からない」という質問に対する岸見先生の答え

初めて会う、見ず知らずの私から投げかけられた質問への岸見先生の答えは、

 

「生産性が低いからそう思われているのではないですか?」

 

その回答に、私はドキッとしました。

 

そうです、その通りです。思わずうなずいてしたのでした。

 

私は仕事が遅く、質も高いとは言えません。

 

そのため自分の価値を感じられず悶々とした日々を送っていたのでした。

 

たった一言の質問でど真ん中の答えを頂くなんて、凄いなと感心しました。

 

岸見先生は、「仕事の評価と自分の価値は全く別の問題」ともアドバイスしてくれました。

 

他人から、仕事の評価を得られなくとも、自分の価値とは全く関係ないと言うもので、それは10年前の先生ご自身の体験から裏付けられていたのでした。

 

岸見先生は、10年ほど前、脳梗塞で倒れて、ベットで安静の状態を強いられ、仕事が全くできなくなったようです。

 

その時、自分の価値を疑ったそうです。

 

だけど、自分の友人や家族が同じような状況になったら、「生きているだけでありがたい」と思うだろうと考えて、「本を読みたいし、書きたい」という思いで病気を克服し、あの「嫌われる勇気」というベストセラー本を世に出したのです。

 

そういう体験から、「人は生きているだけで価値がある」とおっしゃっていました。

 

私は、その場では納得でしたが、もう一つ疑問に思うことがありました。

 

貧困という罰ゲーム 資本主義経済の社会で生き抜く

 

仕事の評価が直接お金となってフィードバックされる社会では、仕事ができない生産性の低い人は、十分なお金を稼げず、貧困生活を強いられます。

 

貧困生活を送りながら、「自分の価値」を見いだすのは至難のワザ。

 

仕事の評価=自分の価値

 

だと自然に考えてしまっています。(私の場合)

 

「生きているだけで価値がある」

 

のは、家族や親戚関係の中だけで、これらの関係すらも断ち切られてしまったら、一体どうなってしまうんだろう?なんて新たな疑問がわき上がりました。

お金と自分の価値との関係

「お金がないと生活できない」けど、「生活するお金すらも稼げない」今のシステム。

資本主義経済という市場で自分の存在は商品になります。

 

効率よく仕事のできる人は高値がつき、仕事のできない人は安く買いたたかれる。

 

ここでやっぱり、自分の存在価値を高めるためには、市場で商品としての価値を高めないといけない。

 

お金と切り離して自分の価値を考えるのは非常に難しい社会になっているような気がしています。

 

現在のシステムの中で私たちは完全にお金に支配され、依存している状態になっているのだと感じました。

格差社会のその先に

貧困と富裕層

 

くっきり二極化した格差社会の先にあるものは、共産主義社会、もしくは、お金から解放されお金に依存しない社会だと思います。

 

共産主義社会は、きっと誰もが望まないだろうから、お金から解放されお金に依存しない社会に向かうかもしれません。

 

どんな社会なのか想像できませんが、少なくとも生活する上でお金を媒介としない状態が望ましいですね。

 

縄文時代のような貧富の差のない、一人一人の生命と存在が尊重される社会に向かっていって欲しいし、そんな未来を作るため、私が存在しているならば、自分の価値は確かにあるかもしれない。

  

自分で自分の価値を認めながら生きることを、もう少し考えてみようと思います。